三浦 恒祺
1930-
今回の作品は、私が広島で被爆を経験してから、死ぬまで脳裏から離れることのない体験を「原爆の形象」として描き続けた三つの作品を繋ぎ合わせたものだ。左右の作品は、破壊を中心に描いているもので、原爆の炸裂した時の強烈さ、全ての物体が瞬時に破滅し消滅する恐怖を、黒を主体に真っ赤や黄色などの鋭いタッチで表現している。中央の作品は平和を願う作品で、被爆後から住んでいる山形県の庄内の日本海に沈む夕日を表現している。この景色こそが、平和な景色と感じるからだ。
今回のタイトルは、私が感銘を受けたノーベル平和賞を受賞した被爆者のサーロー節子さんの「諦めるな、光に向かって這っていけ」という言葉に感銘を受け、名付けた。
広島に「ゲルニカ」のような絵を描きたいという想いだったが、92歳という年齢もあり、直接描きに行くことは叶わず、諦めかけたところ、私のその想いを汲むようにアート仲間が私のその願いを叶えてくれた。さまざまな人の力を得ながら完成された「広島のゲルニカ」。絵を通して核の恐ろしさ、平和への願いを伝えたい。
— 代筆作家 木村順子氏コメント —
先生は15歳で被爆、想像を絶する地獄絵図を見てこられたからこそ今でも油絵を通して一貫して核廃絶を訴え続けて来られました。「僕が10年若かったら広島に行ってウォールアートプロジェクトに参画して描きたかった」そして「残念、無念」とおっしゃった言葉と、広島のおりづるタワーに先生の作品を残すことで、見に来た人が戦争のない、核兵器のない世界にするためには、何をしたら良いのか改めて考えて欲しかったから、代筆をしました。
東京都大井町出身、広島へ移住後、15歳の時に爆心地から4キロ離れた横川付近で被爆。現在山形県鶴岡市在住。
死ぬまで被爆体験が脳裏から離れることはない、原爆の惨禍を油絵で描き続けている。被爆体験を何とか絵にしたいとキャンバスに向かったが、余りにも残酷すぎて私の画才では表現不可能だった。しかし、全国の被爆者との交流により刺激を受け「原爆の形象」の連作に取り組み始めた。
「諦めるな、光に向かって這っていけ!」
その想いから破壊からの復活を願って画面に輝く太陽と光を入れた作品を近年描いている。これからも生ある限り描き続けたいと思っています。